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個人的な見方

「もう春は来ない」と言われた木々達はどう思うだろう?

このまま耐えて耐えて立ち枯れるのか。
この環境を捨てて遠くへ移動するには、もうかなり根を張ってしまっている。

進化するには環境の変化が早すぎる。

まさに八方ふさがり。
今の日本はおそらくこの心境だろうか…。

しかし、実際には春は来る。大天候異変が起こらない限り。

春が来ればまた、樹々たちは黙々(この場合は木々とでも書くか)と、
花を咲かせ、葉を茂らせ、種をまく(針葉樹は違うけど)。

ただひたすらそれをやる。

これは樹々たちの「仕事」ではない。

「営み」である。

いまの我々に必要なのは「業務」ではなく、「営み」なのではないかと思った。
これは、仕事を捨ててパーソナルな「営み」をしろ、と言っているのではない。

「営むようにしろ」というニュアンスを汲み取ってもらいたい。

「業務」ひいては「仕事」とは、結局「営み」なのだと思う。

現代人は「仕事」と「営み」の差があり過ぎるので、
それが全く別のことのように思えてしまう。
仕事が複雑になり、自分のやっていることが一体なんの役に立っているのか?
分かりにくいからではないだろうか?

数字や文字ばかり扱い、現物を扱う仕事が減り、いっそうその肌感覚が分からない。
そうすると、自分がやっていることが、
自分が食っているものに直結してる感覚がない。
家も、洋服も。。。。

ぼくは、それがいけないとは言ってない。

社会がそうしてしまったのだから仕方ない。現代はそれで成り立っているし、
それを否定してももう戻れないし、
我々はそれを望んでこうなっているのだ。

以前に、地下鉄の車両の中に一匹の名もなき虫が入ってきた。
ぶんぶん飛び回っていた。
人はそれを避け、追い払っていた。
「ここに虫が入ってはいけない、なんで虫がいるんだ?」と。

虫は「どこにでもいる」のに………..だ。

暮らしと社会は、もっと密接に進行しなくてはならない。
仕事は、暮らしであり、営みにつながっていることを忘れてしまっている。

営業の「営」は、「営み」ではないか。「営む、業(わざ)」と取れる。

「営業に行ってこい」というと「モノを売りつけて来い」というニュアンスが強い。
モノが必要ない世の中だから、売りつけるというニュアンスにならざるを得ない。

これから世の中は本当に必要なものしか売れなくなる。
それは何か?「営み」に近いものだと思う。

今回の震災はそれを教えてくれたような気がする。
木々は倒れない限り、また芽吹く。

しかも、それすらも春が来ればという前提なのだ。

もうお気付きだろう。君の努力だけで春は来ない…。

君の春は、もっと広く、深い視野で考え、
誰かと行動しない限り来ないのだ。

作成者: Ryosuke Yamaguchi

いつも次を考えているmaltimanこと山口良介です。maltimanというHNでネット黎明期からいます。ホントノ株式会社の代表をはじめ、NPO活動、野良IT、みどりの鳥などいろいろやっています。

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