ごみは移動してるだけ!

エネルギー保存の法則ならぬ、ゴミ保存の法則みたいなのを考えてみた。
私は自他ともに認めるキレイ好きだが、掃除をしていてつくづく思うことは「ゴミは移動しているだけだ」ということ。

床やじゅうたんが汚れているが、それを掃除機で吸い取ったところでゴミは掃除機の中に入っていっただけ。掃除機はいずれ掃除しなければならず、掃除機からまたゴミは移動し、ゴミ箱に入る。ゴミ箱に入ったゴミはたまってきたらゴミ集積所へと運ばれる。そして埋め立てられたり、再利用されたりする。ゴミを燃やして体積を減らすというのがてっとり早くゴミを根絶しているようにも思えるが、実際には微細な物質となって、風にのり、堆積し、またはご丁寧に皆様の口に入ってきたりするのである。

ぞうきんで床や窓をふいても、ぞうきんに汚れが付着し、それをまた水道水で流して、下水道へと汚れはどんどん移動していく。

こう考えるとゴミや汚れは移動してくるがゆえ、ゴミになったり、汚れになったりする。と考えられないか? 例えば、マンションの集合ポストなどに入っているチラシやDM。開けずに読まずに捨てたりしないですか?これは、すなわち、ゴミとしてDMやチラシが移動したと考えられる。DMやチラシがゴミになったのかに見えるが、ホントウはDMやチラシはゴミだったんじゃないのか!?
(まがりなりにも、自分はDMやチラシをデザイン制作する立場と考えても、ひどい発言である。)

ゴミや汚れは最初から移動してくるのだ。発生してはいない。これらはやってきて、定着し、また移動し、これを繰り返しているのだ!

この世のほとんどのものはゴミや汚れとなるべく作られて、「やってくる」ものであり、掃除とはそれらを選別し、また別の場所に移動させる行為である。そう考えると、すべての生産行為は、ゴミをつくりだすこととあまり大差はない。ゴミというと、どうしても悪いイメージがあるが、実際にはすべてのモノはゴミや汚れと化すのだから、ゴミや汚れと呼ばないようにするべきだ。

「いるもの」と、「いらないもの」というシンプルな発想はどうだろう。すべてのものは捨てるのではなく、「いるから、おいておく。」「いらないから移動させる。」とするべきだ。

ゴミを拾ったりする行為はちっとも恥ずかしくないぞ!落ちている物を持って帰ってもちっともみすぼらしくない!すべてはめぐりめぐって動いているのだ。

こんな未来はいかがろうか?
家と家、道路わきなど、絶え間なく動くコンベヤーがある。その上にはいらなくなったものをおいておく。コンベヤーは数ヶ月かけていろいろな場所をめぐる。途中腐敗してしまうものは、チェックポイントで取り除かれ、コンポストに入れられる。このコンベヤーにのっているものは、すべての人が自由に持っていくことが可能だ。コンベヤーは人々の生活にはなくてならないインフラで、それを維持するためにコンベヤー代が徴収される。これでは雑誌などは売れなくなるだろうなー。つまり大量消費ビジネスはこの世界では成り立たない。むしろ生産品は極限まで長持ちすることが求められる。新品が欲しい人はそれを買えばいい。それはむしろやましい行為だが、そういう欲求を満たすことも必要だ。1%の新品と、99%のリサイクル品。ニューワールドだ!

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About Ryosuke Yamaguchi

いつも次を考えているmaltimanこと山口良介です。maltimanというHNでネットには昔からいます。ホントノ株式会社の代表をはじめ、野良IT、みどりの鳥、みどりーむネクスト、などいろいろやっています。

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