宗教における「心がときめいてしまった瞬間」とは?

なぞの栽培される草?

だますことと信じること、そして夢を見るということ。

大型の組織的な詐欺として、検挙された73会長。
こういう事件がなくならない理由は、

「信じるものは救われる」という言葉に凝縮されているように思える。

ぼくは友人が若気のいたりでこういった事態に遭遇し、何度か組織に潜入取材をしたことがあるのだが、そこで得た答えは「信じている者はみな一様に幸せそうだった」ということだ。

被害者は「あんな男にだまされたのかと思うと情けない。」とまで言う。
しかし、だまされていた間=信じていた間はいくばくかの不安はあったとしても「幸せ」や「楽しみ」「期待」といった夢のある言葉が心の中で踊っていたことに間違いないのだ。

これがなければ加害者にはなり得ない。
もしこの夢が破綻しなければずっとそのテンションは保たれていたに違いない。
こうなってくると誰が悪いのだろうか?

夢を見せた側だろうか? 夢を見てた側だろうか?

誤解しないで欲しいのは、ぼくが言っているのが「踊る阿呆に見る阿呆…」といった野次馬第三者的な視点ではなく、
もっと深い人間の心の叫びがここにあるような気がすると言っているのだ。
大物芸能人を呼ぶギャラや、会場を準備する経費や努力は大変なものである。
嘘は大きいほどだましやすいのも事実だが、「ここまでやった理由」はなんなのだろうか?
また、ここまで実現した会長の志は「犯罪」の一言で片付けられるものなのだろうか?

ここには、どちらが悪いという法律的な判断とは別の何か深いものがある。
難しいテーマに足を踏み入れてしまった…。

ただ、ぼくがひとつ思う事は
「心がときめいてしまった事実」は消せない、ということだ。

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About Ryosuke Yamaguchi

いつも次を考えているmaltimanこと山口良介です。maltimanというHNでネットには昔からいます。ホントノ株式会社の代表をはじめ、野良IT、みどりの鳥、みどりーむネクスト、などいろいろやっています。

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