シュリンクすることを良しとする社会へ

さあ、今年も終わろうとしています。流石に1年に一度くらいブログを更新しないと、畳の上では死ねないのではないかと思う今日この頃です。

右肩上がりの終焉

折れた大木

前からこのことをどこかで話そうと思っていて、どこで発表するのがふさわしいかとずっと思っていたのですが、やはり自身のブログが一番だと察しました。

昨日よりこんなに増えた!
前年比売り上げ●●パーセント増!
前回よりこんなにたくさんの人が来ました!

増えることが良いことだという時代が終わったのです
それを日本が世界に先駆けて実践する時が来たのです。

平成はマスの終焉でした。マスは死に、個々の時代に突入しました。このことは周知の事実ですが、それを否定し続けた(いや気がつかないフリをしていた)のが平成でした。

令和になり、それはもう表面化し、あらゆるものが変わらなければならない時代になったのです。まさに天皇がそれを示唆してくれているかのように。

オワコンって言われてるけど

まだまだなんだかんだ言って…と言っていたのが平成です。終わっていることを認めたくない人達、いやいやまだまだ!とか言っていた人達ももう、それを口にすることが恥ずかしくなるでしょう。

令和になり、終わっているものはもう終わっているとはっきりと口に出す時代が来たのです。全ての要素は揃っています。あとは「言うだけ」です。

そして「実行に移す」フェーズが令和です。

REIWAの始まりです

さあ、もう懐かしく思っているヒマはありません。昭和?化石です。平成?思い出です。

全く新しい一歩を踏み出すのです。それには囚われた概念をまずは取り外すことです。

例えば、現時点では車は人間が運転するものだと思っていますよね?

無駄です

車はコンピュータが運転するものです。人が運転していること自体が平成です。さあ、やめましょう。これがどれだけ素晴らしいことか考えましょう。もうウィンカーを出し忘れたり、煽り運転で悩むことはありません。いきなり飛び出してくるおじいちゃんや子どもに怯える必要はありません。バスの運転手やタクシーの運転手が厳しい労働条件に舌打ちすることもありません。もうあなたは「運転手」をやる必要がないのですから。

何かを並べたり、整えたりすること

これもAIにやってもらいましょう。規則正しいことをやるのはコンピュータが最も得意です。例えば、「この場所を規則正しくレンガで埋め尽くしてほしい。」「これをもとの場所にキチンと戻しておいて欲しい。」これは人間にとっては苦痛ですが、コンピュータにとっては至極簡単です。「毎日決まった時間に何かをして欲しい。」
あなたなら忘れることもしっかりやってくれます。例えあなたが死んでもやってくれます。

キャッシュレス

現金を数えるのはもうやめましょう。それは一部のフェティッシュなマニアのための行為です。よだれを付けた汚い手でマン札をイヒイヒ言いながら数えるのは、人に言えない趣味となるでしょう。お財布の中身は確実に一円まで分かります。「あれ?財布にいくら入っていたっけ?」「お前に昨日1024円貸したよね?返してくれる?」
無駄なやりとりです。

全ていくら、何に使ったか?あなたが覚えている必要はありません。お金は数字の移動だけで充分です。現金の生産もさっさと止めましょう。1円玉を作るのに2円以上の製造コストがかかっているのは有名な話です。

他にもきっとあなたの身の回りに「もうこれ終わってね?」「これ、もう人がやらなくて良くね?」と言ったコトはたくさんあるでしょう?思い浮かぶ範囲で書き出してみてください。

その人の職がなくなるのでは?

カラスたち

よくこう言われます。確かに今ある職種の多くはなくなるでしょう。でもそれは今に始まったことではありません。昔あった職種で今はないものなどたくさんあります。

今、「写真植字」という仕事はありません。「場立人」という人が何をしていたか知っていますか?誰からも頼まれない仕事はなくなって当然です。

何が悪いのでしょう?仕事が減って、人間はもっと人間の特性を活かせるようなコトをした方が良いでしょう。今まで気づかず、人間の特性に向いていないことを職業として、それは仕事だから!と一生懸命やっていたのです。止めればいいのです。向いてないのですから。

私たちは「人が嫌がることを積極的にしなさい。」ということが良いことだと一部から教えられてきました。人が嫌がる仕事は「人に向いていない仕事」です。やる必要はありません。

伝統の継承と古いものを捨てるのとは違う

「誰かが引き継がなくてはならない」
これも植え付けられた観念です。引継ぎ手がいないということは、引き継ぐ必要がないということです。絶対に必要なものであれば、誰かが引継ぎます。今の時代、ネットがあるのですから、引き継いでくれ!ってたくさんの人に呼びかけることが可能です。それでも誰も引き継いでくれない、ということであればそれはもはや要らないということです。

芸術や文化は果敢ないものです。いつの時代も名作やその人にしか出来ないものはありました。でもその価値が高いのは、その人しか出来ないからです。「血を絶やしては行けない」とか、「この伝統を継がなくてはならない」というのは、残念ですがさして重要なことではありません。ある種のエゴとも言えるでしょう。

失うことの美しさを今一度尊ぶのです

失うことを恐れているのでしょう?失うことは諸行無常として昔からの常識です。あらゆるものは無くなるのです。永遠はないのです。なので、失われるものに敬意を払い、記録だけをして、未来に語り継ぎましょう。「失われるもの」を「無理やり引きずり出す」ようなことは止めましょう。

とは言え多様性は大事です

ポイントは、失われたものと生み出されるもののバランスです。いつの時代も多様性は必要です。多様性がない時代は長続きしません。なので、今多様性を大事にしようという「流れ」が起きています。性的マイノリティを認めよう!などという動きは多様性の現れと言えるでしょう。他にも「子どもがいる家庭が幸せ」とかいう概念も平成のものです。

今まで頑張ってきたけど可能性のないものはキッパリ捨てて、その分いろいろなものに可能性を見出す必要があるのです。そこを履き違えてはいけません。

今まで当たり前と思っていたことを見直すこと

それが突破口です。この行き詰まった社会、日本を打破するための。ネットのニュースや、テレビで垂れ流された情報、バズったツイートや、炎上したコメントに惑わされてはイケません。

深い知識やインサイトもなく、物事の上っ面とタイトルだけを見て文句を言ったりしていることを恥ずかしく思うと同時に、いかなるマイノリティにも多様性を認めるという深い謙遜が隣り合い、寄り添い合うのがREIWAだと思います。

REIWA

アルファベットにすると、なんともクールな「REIWA」です。令和時代のスタンダードをどんどん、作っていきましょう。時間は後戻りできないのです。

シュリンク(しぼんでいく)していく社会はきっと良いものになるでしょう。あらゆる物は多くなると減るのです。多くなり続けることは無理なのです。

しぼんでいった分、濃く充実した社会を諦めてはいけません。前年より増えた!ということを恥ずかしく思ってください。あらゆるものを前年より減らし、多様性は増やすのです。

それがREIWAです。多いものはダメなのです。少なく、価値があるもの。それらがたくさんの種類を持って成す社会を目指すのです。

さあ、始めましょう。

手始めにまずは、自分は「なぜパンツを履いているのか?」を考えてみてはいかがでしょうか?

明日から、きっとパンツを履くのがバカらしくなるでしょう。

いつも次を考えています

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About Ryosuke Yamaguchi

いつも次を考えているmaltimanこと山口良介です。maltimanというHNでネット黎明期からいます。ホントノ株式会社の代表をはじめ、NPO活動、野良IT、みどりの鳥などいろいろやっています。

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