なぜか途中何度か泣きそうになった
なぜかは分からないけど感極まる時がいくつかあったけど、それらは内から込み上げるものではなく外的要因が多々あった。
応援してくれる人に触れた時
ロッキーのテーマが流れた時
この二回は涙が出そうになった。
ちなみにゴールの時は、涙は出なかった。(写真はFブロックのスタートエリア=スタートしてから実際にスタートラインを通過するまでかなりの時間がかかる)
マラソンは面白いスポーツだな
見も知らない人がこんなにたくさん集まって、それぞれが、一つの目標に向かって突き進む。しかし、協力は基本しない。(一部チームで参加している場合などを除く) ただ、具体的な協力はないけど、実際は様々なランナーから影響は受ける。
- 自分より全然、年上のオバちゃんに抜かれた時
- 白髪の外人のおじいちゃんランナーを結局抜かせない時
- 脚を引きずりながら、走るランナーを抜かした時
- 元気よく抜かしていく若い仮装したランナーを見た時
- ペアで走っているのか大きな声で相手を励ましながら走るランナーを見た時
- 応援のパフォーマンスを見た時
これら全てが自分の走りに影響を与えていく。
1人で走っているようで1人ではない何かが影響しあっているこの感覚。これは大きなマラソン大会でないと、味わえない感覚だろうと思った。
ちょっとマラソン工程の具体的なリポートを
スタートの時はコンディションは良い!と思っていたのは勘違いだったと、トイレに行った後に気付く。
スタートは否応なくテンションが上がるし、剛力ちゃんとか見て、ひゃーっとか思ったり、みなとみらいから、赤煉瓦、山下公園と、街並みも楽しめるからだ。
この写真の中に「うまるちゃん」のTシャツを着ている人がいるのですが、彼に付いていきたいと思っているのもつかの間、はるか彼方に消えていき、それきり「うまるちゃん」を見ることはできませんでした。。
しかし、本牧辺りで街並みは寂しくなり、この辺りでトイレに行かないと、後からトイレのロスを取り戻せないな…ということで、7キロ〜8キロくらいのところでトイレイン。後から思えば、ここのトイレは比較的空いていた。ロスはそんなでもなかったはず。ナイス判断だった。
しかし、高速の高架下をひたすら走る三渓園辺りから、折り返し地点が妙に遠く思えてきた。まだか?(そりゃそうだ、ここはまだ10キロ〜15キロあたり)杉田の街を見ながら、タイムを気にする。苦しい気がしていたが、折り返しでキロ6分前半だったので、なんとか目標通り。
首都高速は魔の入り口
しかし、折り返してしばらくすると、高速にのるんですが、実はここからどんどんきつくなる。
最初は高速道路を走れるなんて!と浮かれるのもつかの間。やはり景色の流れが遅い(高架だから視界に入る景色が自然と遠くなる)ためか、苦行になっていく。あと、ゆる〜い登りも脚に疲れを蓄積させていく。高速道路の応援を充実させると良いかも。気分的に。もちろんまあ、充実してましたよ。寒い中、薄着で応援してくれている方々には頭が上がりません。もっと応援箇所が多い方が良かったかなという意見でございます。
ベイブリッジがスゴく大きく、印象的に見えたのを覚えている。
「あぁ、ベイブリッジだ、戻ってきた…」
実際にはスゴく遠いけど、そう見えた。
が、しかし。
高速道路を降りてからホッとしたのもつかの間、横浜港シンボルタワーへの道のりがまた、とてつもなく遠い(気がするのだ)。
ここを折り返して34キロなので、本当にラストスパートはこれから。
この時にロッキーの音楽が流れてくる(厳密には応援者がかけてくれている)
これは、上がった。これはアガるわ。
のもつかの間。
この先からガクンとペースが落ちる。
筋肉が悲鳴を上げてくる。
肉体は精神を超えなかった。私の場合は
10キロから精神力
っていうけどね。いや、精神力は実はかなり余っていて、肉体が全くついてこなかった。
「フルマラソンの完走出来ない理由の大半は筋肉痛です」とどこかのサイトで読んだが、その通りだった。
ただ、筋肉痛はジワジワ来るので耐えられるが、肉離れや、筋肉が攣るとまずい。激痛は精神力を凌駕する。激痛に耐えるだけならまだしも、耐えながら走るのは本当に厳しい。
なので、完走するためには激痛を発生させてはいけない。
このあたりで、右膝の上(前もも)が、ビキッ!ていって、まずい!と思ってペースダウン。
残り10キロを超えてそれまでは、走る、早歩き(大股で出来る限りタイムロスにならないように)を繰り返してしのいでいたが、そのビキッ!で早歩きが危険になった。なので小股走りにスイッチしたが、これまた堪える。スタミナを消費するが、痛みを抑える走り方がこれしかなかった。
最後の3キロ
は、なんだかやっぱり精神力なのかなとも思ったが、ここでも応援には助けられる。だれにともなく発せられる、応援の声に勇気付けられる。「応援てスゴイかも」と思った。自分もこれからは、沿道に立ったら気合入れて応援しようと思った。見も知らぬ人に一生懸命応援されるということは、素直に嬉しいと思った。
応援者のハンドタッチにも勇気付けられた。
何人かとしたが、その度に少しずつ、パワーをもらった。これは精神的なパワーとしてはプラスされる。
が、痛みは容赦ない。しかし、痛みがほんの少し和らいだ気もしたりする。最後の5キロ、そして3キロのタイムはめっちゃ遅かった。
気がしたが NIKE Running を見ると、徐々に遅くなっていって、後半7分台をゆるかやかに遅くなっていったのが分かって後から驚いた。
なぜ、こんなコトをしているんだろうと疑問に思った時
高速を走っている時あたりに、「世界は自分が変わらないと、変わらない」という言葉が頭をよぎった。そしてこの時は、内的な要因でなぜか涙が出そうになった。
ゴールした後、私は変わるだろうか?
明日からまた、いつもの通り仕事してるんじゃないのか?
いつもの通り、くすぶっているんじゃないのか?
そしてこのブログを書いた私は、
私は変わっただろうか?
少なくとも何かは変わった。
変わらなければならなかった。
というコトを再認識出来ただけでも良かったと思いました。