「企業がもしかしたらなくなるかもしれません。」という話をキャッチした記憶があります。思い出しました、この本です。(2022―これから10年、活躍できる人の条件 神田 昌典 著)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569797601/
企業が人を育てることはもはや不可能になってくるであるという。
いわく、世の中のサイクルが早くなり、1年から2年でプロダクツのサイクルが終わるのであれば、新入社員がようやくプロダクツを売る技術が習得されたという時に、そのプロダクツのサイクルはすでに終わり、もう次のプロダクツを売らなければならない状況だからだという。
優秀な社員は新入社員を育てるより、サービスやプロダクツを売る自動化システムをつくる方が労力も要らず、うまくいけばらくちんに利益を生み出すのでそちらに注力してしまう。新入社員にはそのシステムを見張っておけ、という役割を命じてしまうだろう。
また、日本式年功序列終身雇用システムに本当に優秀な人材は魅力を感じず、単純に独立(もしくは起業)してしまう。
そうなると会社は器でしかない。
会社が器(入れ物)でしかないのであれば、システムが会社となってしまい、人間味のない会社が増えていく。会社とは利益を追求するシステムであり、自己実現や夢、人々の欲求を満たす場所、共に汗して感動する場所とはほど遠いものになってしまう。
企業はどうするべきか?
(c)gfpeck
大きな企業はそのシステムを逆手にとり、規模でなんとか社員をつなぎとめるしかない。
大多数の人は凡夫なので、システムが大きく、先進性があるかのごとく見えれば、個人ではできないことをやりとげる法人としての「規模メリット」によって、安心させるのです。
規模メリットを活かせない中小企業はどうすればよいか?
突出した専門性を極めるか、ローカルに根ざしたグローバルな争いに巻き込まれない領域で勝負する以外になくなってくる。これに関しても紹介した本にも書かれています。
大手の真似をしても、規模メリットですべて打ち消されてしまうし、中小企業が昭和や平成の良き時代を生き延びるような、大企業のコバンザメ的な生き方はもうないのだ。大企業は下請けには極限までコストダウンを求める。いままでどおり、しがらみや恩情で発注していては大企業も立ち行かなくなる。生き残りをかけて、グローバル化、海外進出、システム化を進めるだろう。
ぼくが経営者ならそうするし、そこに投資するだろう。
そして、人材もシステム化を進めるだろう。システムを作れる人間だけを残し、システム的な人材はシステムに置き換えるよう命ずるだろう。
だって、投資家が見ていますから。
では、今後企業が行う育成とはどうなるのでしょう?
残念ですが、育成は特殊なスキルを持った専門性以外ない。
企業はそもそも専門性を薄めるために存在していた。専門性は属人的で企業が不利になる要素がたくさんあるからだ。しかし、皮肉なことにこれから企業が求めるのは、属人的で専門性の高い技術だったのだ。
ここで前回のエントリーにひもづく。
教育は専門性の機会をどれだけもうけられるかにかかってくる。
スーパーエリート以外は、専門性の高い技術が習得できる、もしくは興味を持てる教育機会をどれだけ得られるかが重要だ。それには結局自分が何に向いているかを早期に見極めるというのも重要になってくる。
専門性を発揮し、スペシャリスト集団になることこそ、これからの日本に必要なのではないでしょうか?
つまり、教育はさまざまな専門性と出会う機会が重要となってくる。
という気がするのでした。