広告は芸術か?広告はなぜハイクオリティなのか?

ヴィーナスの誕生

広告の異常なハイクオリティを僕は知っている。ではアートはハイクオリティかな?

両方とも求められるものは、共通点も多いのも事実。広告にはアートディレクターなる職種がある(ブランドに関わる職種にも見られるし、他にも見られるが特殊な仕事だと言える)。

アートをディレクションするというのはある意味不思議だが、
アート的なコトをディレクションするというのが現実的だと思う。

そもそもなぜ広告はハイクオリティになったのだろう?

ひとつは、広告というものがたくさんの人に見られるという点で芸術作品に似ているからではないか?

芸術作品というものはたくさんの人にみられる価値がある(厳密にはたくさんの人に見られて価値が上がるというほうが正しいか….いや、よく考えたら誰にも見られない芸術というのもある、しかし見られた数が価値を上げるというのは事実だな。括弧内長いな)。ということはたくさんの人にみられる広告も然り、というコトだろうか?

しかし、いま言ったようなことは現在はほとんど意味をなしていないの。

どうしてか?

ハイクオリティを誰も広告に求めていない。ただ、いったん上がりきってしまった広告のクオリティを落とすのは忍びない。といった理由で、そうなっている。見る人が見ればクオリティは一目瞭然だが、アートもそのクオリティを判断するのが難しい。

この「見る人が見ればクオリティは一目瞭然」の「見る人」とは誰なのか?
昔はこの人は「金持ち」だった。昔、芸術は金持ちの道楽だったのだ。
金持ちが、特殊な能力(絵が異常に上手い人など)を持った人に、自分のためになにか作らせようと思って作らせた下りがある。

では広告はなぜどんどんハイクオリティになっていったのだろう?
それはクライアントが「見る人が見ればクオリティは一目瞭然」の「見る人」だったのだろうか?
金持ちというニュアンスとは違うのは一目瞭然…。

では、「見る人」は視聴者だったのだろうか?
消費者だったのだろうか?
ユーザーだったのだろうか?

はて、分かる人がいたら教えてほしい。

確かにクオリティは大切だ

やればやるほど美しく、良くなるケースをぼくも何度か目撃してきたつもりだ。

だが、それは一億総クリエイター時代の今では、ちょっとかすんでしまうし、
そんなことをとやかく言うのもどういうことなのかと。
もちろんそのうらにはデジタルの貢献があるのだが。

わかった!

 

広告にハイクオリティは絶対的な評価ではないが、
芸術にハイクオリティは絶対的な評価になる?

かな?

ではデュシャンの「泉」は?

 

現代美術とはもはやストーリーだとも言う人もいる。
ここに、こういうものが、こういう経路で、こういうかたちで、こういうレイアウトで、現れているのが芸術だと。

ちなみに「ハイクオリティ」と「手が込んでいる」とは決定的に違う。

もしかしてこれをはき違えているだけか?

追伸:広告もたくさんの人に見られる事が価値だというコトが意味を失いつつあるという傾向も書き加えておく。

 

関連エントリー>>それなりにできるデジタル
関連エントリー>>クリエイティブの大量生産化

 

Share This!

About Ryosuke Yamaguchi

いつも次を考えているmaltimanこと山口良介です。maltimanというHNでネットには昔からいます。ホントノ株式会社の代表をはじめ、野良IT、みどりの鳥、みどりーむネクスト、などいろいろやっています。

WebSite Facebook Twitter Instagram Google Plus Linkedin Flickr Tumblr

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

答えを入力してください * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.